ニューヨークで選ばれたグランドピアノ
お客様は30年以上ニューヨークに在住されていました。ご自宅から歩いて7〜8分の場所にスタインウェイのショールームがあり、店側から「1時間、店内のピアノを自由に弾いてみませんか」という提案があったそうです。店内には、スタインウェイと、スタインウェイ設計のボストンの主な機種が展示されていたようです。
そこで出会ったのがボストンGP178PEⅡ
複数台弾き比べる中で、音の柔らかさが決め手となり、3年前にニューヨークのご自宅へ納品されました。
航空機での輸送について
帰国とともに、ピアノをどうするか
日本へ帰国することになり、大きな悩みとなったのがピアノの輸送方法です。
・船便
パナマ運河を経由し、長期間、大きな温度差にさらされる
・航空便
費用は高いが輸送期間は短い
特に、パナマ運河を通る船便では、高温多湿と乾燥を繰り返す環境が長く続くことが心配でした。
航空便の運賃は保険を入れて約130万円です。その金額を考えれば、日本で新たに買い直すことも考えたとのことでした。
それでも、「このピアノで弾き続けたい」という強い思いから、航空便での輸送を決断されました。搬入先は山形県天童市です。
想像以上に重くなる梱包後のピアノ
輸送について印象的だったのが梱包後の重量です。このボストンGP178は、ピアノ本体の重量がおよそ330Kgあります。それが、海外輸送用として厳重に梱包されて、総重量は約530Kgにまで増えました。輸送前に、天童市に搬入後の調律についてご相談を受けていましたが、この数字を聞いて正直驚きました。日本国内でグランドピアノを輸送する場合も梱包されますが、これほど重量は増えません。それだけしっかりとした梱包が施されていることがわかり、大きな安心材料にもなりました。そして2026年1月下旬、ニューヨークのご自宅から搬出されました。
空輸による影響はあったのか
私は日頃から、ピアノ輸送後の調律を数多く行っていますが、その多くは日本国内でのトラック輸送です。実際、適切に扱われていれば、トラック輸送そのものがピアノに与える影響は意外と少ない、というのがこれまでの実感でした。
そのため今回、私が特に気になっていたのは、航空機の貨物室内の温度・湿度・気圧といった環境条件です。
2月下旬にピアノが天童市の新居に到着。状態を注意深く確認しましたが、空輸によると思われるダメージや、大きな狂いは見られませんでした。
なお、ピアノが新しい住環境に馴染むまでのおよそ1年程度は、通常より音程の変化や調整の狂いが大きく出ることがあります。これは海外からの輸送に限ったことではなく、国内での移動の場合でも同様に起こり得ることです。
鍵盤深さの調整について
空輸による影響とは別に、今回このピアノで気になった点が、鍵盤の深さがかなり浅いことでした。
鍵盤の深さとは、鍵盤を押し始めてから底に付くまでの距離のことを指します。
鍵盤の深さについては、調律師の感覚だけで判断するものではなく、一定の基準があります。通常、鍵盤の深さは10mm前後に調整されます。
浅すぎる場合、音の立ち上がりや深みといった点で、ピアノの性能を十分に引き出しきれないことがあります。
また、浅い鍵盤に慣れてしまうと、例えば適切に調整されたコンサートホールのピアノを弾いた際に、鍵盤の感覚に違和感を覚えることもあります。
調整前の浅い状態でも、音は真っ直ぐによく伸びており、このピアノが持つ優れた性質を感じました。同時に、鍵盤の深さを整えることで、さらにその魅力を引き出せるとも思いました。
お客様は約3年間このピアノを弾いており、浅い鍵盤に慣れていると考えられます。そのためお客様とご相談のうえ、今回はこれまでの感覚を大きく変えない範囲で、鍵盤を少し深くする調整をすることをご提案し、ご了承いただいたうえで作業を行いました。
今回行った鍵盤の深さの調整は、約0.2〜0.3mm深くするという、数値としてはわずかな変更です。しかし、この差はエネルギーの伝わり方を確実に変え、音の立ち上がりや響きの豊かさを向上させます。ピアノの調整では、このようなわずかな違いでも演奏感や音色に明確な変化が生まれます。
合わせて、鍵盤の動きがやや硬く感じられたため、その点についても調整を行いました。
作業後のご感想
調律・調整後にお客様に弾いていただいたところ、鍵盤の感触に違和感はなく、自然に弾けるとのことでした。音については、「きれいに鳴ってますね」「華やかで、透明感がある」というご感想をいただきました。
※写真や作業内容の掲載については、事前にお客様のご了承をいただいています。
